ぷう、それは江戸(上巻)

八、引札書き長二郎

皆々様、このたび、松島屋長二郎
戯作者、式亭三馬先生の直弟子となり
引札書きとして
世に処することと相成りました
どうか、皆々様方
お見知り置き下さいますよう
御願い申し上げます


長二郎の甲高い声が、東両国の空に響き渡った。

その隣には弁造が立っている。

―でえじょうぶかな・・・・

弁造は、あたりが気になって仕方がない。

長二郎は、三馬から弟子として認められたわけではなく、勝手に名乗っているだけだ。

近くには可楽師匠の定席があるので、可楽師匠に見つかるのではないかと、弁造は冷や冷やしている。

可楽は噺家をあきらめた弁造に、三馬店の引札配りの仕事を世話してくれた人であり、三馬は引札配りとしての道筋をつけてくれた恩人でもある。

弁造は、長二郎から手伝いを頼まれたとき、三馬先生の直弟子を名乗るのは、やめたほうがよいと何度もいった。

ところが、長二郎は引札のコツを伝授してくれたのだから、自分は三馬先生の弟子も同然だと意に介さない。

弁造は長二郎から手間賃を頂戴している身であり、口幅ったいことはいえなかった。
「皆々様方、これは、ご挨拶代わりでございます」

長二郎が手拭いを配りはじめる。
「どうぞ、お持ち帰りください」

集まっていた人たちは、ただでもらえると分かると、われもわれもと手を出す。
「おいらにも、くれるか!」
「俺にも頼むぜ!」
「こちとらも、いただきだ!」

用意した手拭いは、あっという間に無くなってしまった。

その様子を見て、弁造が節回しをつけて謡い出す。


〽下手なことを「へぼ」といい
  上手なことを〝ぷう〟という
 間抜けのことを「どじ」といい
  秀でることを〝ぷう〟という
 無骨なことを「やぼ」といい
  洒落たことを〝ぷう〟という


帰ろうとした人たちが足を止め、呆気にとられていると、長二郎が、すかさず「ぷう」を連発する。


上手で〝ぷう〟
秀でて〝ぷう〟
洒落て〝ぷう〟
皆々様方、どうか〝ぷう〟の長二郎をお忘れなきよう
御願い申し上げま〜す!


「洒落て〝ぷう〟?」

誰かが、すっとんきょうな声を出すと、
「そりゃ、尻から出る音かい」
「臭うぞ、臭うぞ!」

鼻をつまんで茶化す者もいる。

そうかと思うと、もらったばかりの手拭いを振り回し、
「間抜けのどじは、そっちじゃねぇか」

毒づく者さえいた。

あまりの馬鹿馬鹿しさに人々が笑いころげていると、
「弁造さん、見てくれ、皆、笑っているじゃねェか」

長二郎は勝ち誇ったような顔をする。


天明の改革で贅沢が禁じられると、やせ我慢と反骨精神から「薄着は意気だ」、「洗い髪は意気だ」、「薄化粧は意気だ」という気風が生まれた。

どれも金のかからぬものばかりだ。

金をかけたとしても、趣味が悪ければ野暮と馬鹿にされる。

つまり、意気は身分や財産とは無縁のものだった。

平賀源内の門人である森羅万象(竹杖為軽たけつえのすがる)が、『従夫以来記それからいらいき』という書物のなかで、「通の事をピイといひ、意気な事をプウと言ひ・・・・」と書き記したことから、〝ぷう〟が意気の隠語として広まったのだ。


長二郎は〝ぷう〟を連発すれば、また〝ぷう〟が流行り、「可笑しなことを口にする可笑しな奴」と人々から注目され、引札書きの仕事が舞い込むだろうと考えた。

集まっていた人たちは、一人減り、二人減り・・・・。

気づいたときは、長二郎と弁造だけだった。
「長二郎さん、そろそろ、引き揚げましょうぜ」

川風の冷たさが骨身に凍み、弁造は心まで白けてきた。

ところが長二郎は愚弄されたのも気づかず、
「あの笑いを聞いたでしょう」

人々が〝ぷう〟で笑ってくれたのだと思い込んでいる。

弁造は、この場所から一刻も早く離れたいと思っていた。
「直弟子を名乗ったことが知れたら、三馬先生から大目玉を食らいますぜ」
「そうはいいますが、先生のお名前をお借りしないと、引札書きだといっても誰も見向きはしてくれませんからね。先生のお名前を、ちょっとだけ使わせてもらったんですよ」
「その気持、わからなくもねえが」

弁造も可楽師匠の名にすがって、噺家になろうとしたことがあったからだ。


長二郎の〝ぷう〟熱は、とどまるところを知らない。

堺町の中村屋に好物の汁粉を食べにやってくると、店先に立って呼びかける。


 ちょいと、そこのお綺麗さん!
 汁粉好きを「甘口」といい
   辛口好きを〝ぷう〟という
 話し好きを「お喋り」といい
   聞き上手を〝ぷう〟という
〝ぷう〟のことなら
 引札書きの松島屋長二郎に
 お尋ねあれ〜


「ちょいと、やめてくれない!」

中村屋から女が飛び出してきた。
「お客さまに、迷惑でしょ!」

切れ長の目が、はっとするほど澄んでいる。肌は浅黒いが、なかなかの美人だった。

長二郎は女に睨まれると眉をぴくぴくさせる。
「おいおい、こちとらも客だぜ!」
「客なら客らしく、中に入って注文したらどうなのさ」
「やけに威勢がいいんだな」
「威勢が良くて、悪かったわね」
「いや、ちっとも悪かねェよ」

いつもの調子の良さが出てこない。
「ほら、皆、帰っちゃうじゃないのさ」

汁粉を食べにきた客は、怖いものでも見るように様子をうかがい、帰って行ってしまう。
「邪魔する気はねェんだ」

素直に詫びると長二郎は帰ろうとする。
「あら、汁粉、食べないんですか」

女がクスクス笑っている。
「ああ、またにするよ」

女に軽く手を振ると、長二郎は帰っていった。