ぷう、それは江戸(上巻)

五、引札は暮らしの道標みちしるべ

お杉が店先で、ひと息入れていると松島屋の長二郎がやってきた。
「先生はおいでになりますか」
「おりますよ」

三馬が戯作を書く部屋は店の二階にある。
「ちょっと失礼しても、よろしいでしょうか」

長二郎は特徴のある眉をピクピクさせる。
「いま、ちょっと」

三馬の弟子がきているのだと、お杉がいった。
「これは、先生の酒の肴にと思いまして」

長二郎は店の板前に頼んで、沙魚はぜの甘露煮をつくってきたのだ。
「これは、おかみさんに」

満月堂の月饅頭を渡した。
「まあ、わたしにも」

お杉は気を良くし、長二郎にも二階へ上がるように勧めた。


三馬は二人の弟子を前に熱弁を振るっていた。
「この世は嘘に溢れ、その空ごとに人は惹かれるのだ。戯作者は嘘つきでなくてはならん。ばれるような嘘は上手いとは言えぬ」
「先生、よろしいでしょうか」

長二郎が眉毛をピクピクさせながら入ってくる。
「お前か!」

三馬が面倒くさそうな顔をした。
「引札書きのご指南を、お願いに参りました」

長二郎は平然としている。二人の戯作の弟子は引札書きの指南と聞き、互いに顔を見合わせた。
「人の都合も顧みず・・・・」

三馬はブツブツと呟く。化粧水づくりの金策がついて、庄三郎と徳次郎も動き出し、これで自分の役割はひと区切りついた。『浮世風呂』女中湯之巻が好評なので、女湯の続編も頼まれている。そろそろ取りかかろうとしていたところだった。
「申し訳ございません」

長二郎には悪びれた様子がない。

二人の弟子は、長二郎のあっけらかんとした態度に驚いている。

この調子だと長二郎が何を言い出すか分からないので、三馬は二人の弟子を帰すことにした。
「それじゃ、四、五日したら来るがいい」

二人の弟子は書き上げた稿本を、三馬に読んでもらうために訪れていた。

長二郎は二人の弟子が帰ると、さっそく切り出す。
「先日、引札文は文人墨客と称される方が書くところに、値打ちがあると、おっしゃいましたが、どうして文人墨客や戯作者の方々に引札文を頼むのでしょうか」
「餅は餅屋だからよ」

戯作者は世情に通じ、面白く読ませる文才があったからだ。絵師、板元、板木師との付き合いもあり、引札を頼むには好都合だった。
「引札文といわれるものを最初に書いたのが、平賀源内先生だったからな」

平賀源内は発明家にして本草学者、戯作者、絵師でもあった。
「風来山人、天竺浪人の筆名を持ち、たぐいまれな才能に恵まれたお人だった。烏亭さんは、源内先生から引札の指南を受けたことがあるそうだ」

三馬は話が烏亭焉馬に及ぶと立ち上がり、
「これは、商人から頼まれて書いたものだ」

棚から書物を出してきた。

『狂言綺語』という題名がついた戯文報状だった。

上巻には烏亭焉馬の引札文が九本、下巻には三馬の引札文が九本、収められている。

その序文に三馬は、綴りおきたる報條の数々、風雅でもなく、洒落でもなく、狂文でもなく、俳文でもなく、どっちつかずの戯作者ぶりなどと、戯作者が引札文を書くことの気恥ずかしさも綴っている。
「どうしたら、このような引札を書くことができますか」
「修業だよ」
「先生、どうか教えてください」
「それで、引札の試し書きでもしてきたか」
「はい、手始めに、こんなものを書いてきました」

長二郎は抜かりはないといった顔で、用意してきた引札文を差し出した。
「満月堂の月饅頭か」
「頼まれたわけではありませんが、試しに書いてまいりました」

甘党の長二郎は、満月堂の月饅頭が大好物だった。


ご近所の御方様には、いまだ御存じ有るまじく
引札を以て申し上げ候
味はもちろんのこと、よいよいと御贔屓
満月堂の月饅頭、ひと口入れると
月見より饅頭、風流より食い気
ご評判よろしく、連日、押すな押すなのご盛況
今後とも、お引き立ての程、御願い申し上げます


三馬は読み終えても何も言わず、首のあたりをしきりに掻いている。
「先生、如何でございましょう」
「もう一度、読んで見ろ!」

三馬に突き返され、自分の書いた引札文に目を通すが、どこがいけないのか、長二郎には見当が付かない。
「どこが駄目なのでしょうか」
「連日、客が押し寄せているというのに、近所の連中は月饅頭のことを知らねェのか」
「いえ、評判の饅頭ですから、近所の方々も知っております」
「だったら、ご近所の御方様には、いまだ御存じ有るまじくは、おかしいだろう?」
「あっ、そうでした」
「これじゃあ、どんな饅頭か、さっぱり、わからねえじゃねェか」
「それでしたら、おかみさんのところに」

手土産として持ってきた月饅頭を、長二郎は取ってこようと立ち上がりかけた。
「ちょっと待て、どんな饅頭か、わかるように書くんだ」
「そりゃあ、美味うまい饅頭なんです」
「その美味さを語るように書くんだ」
「言葉で表すとなると」
「つまり、正直な気持を書くことだな」
「正直な気持ですか・・・・難しいもんですね」
「当りめェだ!」
「どうしたら書けるようになりますか」
「それが分かれば苦労はねえ」
「何とつれないことを」
「馬鹿野郎、気取るんじゃねェ」

三馬にどやされると、長二郎は慌てて居ずまいを正した。
「いいか、月饅頭は、どんな形をしてる? どのような餡が入ってる? どのくれぇ甘いんだ?」

矢継ぎ早の問い掛けに、
「形は満月のように丸く、皮は薄く、真ん中には甘い餡が、たっぷりと入っています」

長二郎が必死に答えた。
「それを書けばいいんだ。月見より饅頭、風流より食い気は、花より団子、色気より食い気を、もじっただけだな」

三馬は一刀のもとに斬り捨てる。
「有り体に言えば、出まかせに見えて出まかせにあらず、確実な事をもって巧みに書くのだ。ただし、ありもしないことを書き並べてはいけねえ。といって、ありきたりのことを書いても駄目だ」
「ありきたりのことが、どうしていけないんでしょうか」
「引札は店や品物を広めるために、人を驚かしたり、感心させたりして、人の心をつかむことが大事でえじなんだ」
「人の心をつかむのですか」
「それには、ひとひねりの工夫が必要だ」
「ひとひねりの工夫・・・・」

長二郎は考え込んでしまう。
「商いは、山や海の幸を町へ触れ売りしたのが始まりだというじゃねぇか。多くの人に買ってもらうには、売り広めなくてはいけねぇから、喋りながら売ったり、能書を書いたものを配った。それが引札だ。引札は、あまねく配ることができるからな」
「あまねく、配れるんですね」
「そうだ、上方では、ちらしというが、江戸では引札と呼んでいる。千社札を配ることを引くというだろう。つまり、引札は配る札ということだ」

話が佳境に入ると不機嫌づらがすっ飛び、三馬は弁舌さわやかになった。
「引札を見た人が、この品を買ってみようか、この店で食べてみようかと思ったら、しめたもの。売り広めようとするものを見極めれば、自ずと答えは見えてくる」

三馬は引札については一家言いつかげんもっていた。
「要するに、いろんな角度から吟味し、これはという趣向を編み出すのだ。だが、趣向を凝らせばよいというもんでもない。策士、策に溺れるということもあるからな」

三馬は棚からまた一冊の書物を出してきた。
「さっき、話した、平賀源内先生が書いた引札文だ」

長二郎は『飛花落葉』という戯文集を渡された。
「そのなかに、歯磨き粉の引札文があるだろう」
「トウザイくで始まる嗽石香そうせきこうの引札文ですか」
「そうだ、源内先生は嗽石香という歯磨き粉をつくり、それを知り合いのゑびす屋に売らせるために、それを書いたのだ」


歯を白くし、口中を爽やかにし
あしき臭いをさり、熱をさまし
其の外、種々雑多
富士の山ほどの効能これ有る由の薬方
御伝え下され候
きくかぬのほど、私は夢中にて一向存じ申さず候へ共
高が歯を磨くが肝心にて
其の外の効能は、きかずとも害にもならず・・・・


「源内先生の引札文は、それなりの知識に裏付けされたものなんだ」

この『嗽石香』の引札が評判となって、文人墨客といわれる人たちも引札を書くようになったのだと、三馬が説明する。

長二郎は『嗽石香』の引札文に合点が行かなかった。
「効能は富士の山ほどあるというのに、きかずとも害にもならないとは、どういうことでしょうか」
「洒落だよ、源内先生独特の冗談めかした言いまわしさ」

三馬は、源内の切れ味のよい冗談が好きだった。
「しかし、こうした言いまわしが、売り広めに役立つのでしょうか」
「非常識と思われることを書くことで、人々の関心を誘ったのさ。源内先生は長崎で蘭学を学び、医術にも通じた御方だ。引札を通して人々に、歯磨きの習慣を植え付けようとしたのだ」

その当時はまだ歯磨きの習慣がなかった。裕福な人たちは楊枝や塩で磨いていたが、庶民は口の中をすすぐか、食べかすを吐き捨てるくらいのものだった。

源内は『嗽石香』の引札を通して、人々が日常のたしなみとして歯を磨くように導いたのだ。
「源内先生は習慣をつくる名人だ。土用にうなぎを食べる習慣も、源内先生が流行らせたものなんだ」

江戸では土用のうしの日に「うり」「うどん」「うめぼし]と、「う」の字の付くものを食べると暑気あたりをしないという風習があった。

源内は、夏になると客足が落ちて困っていた鰻屋のために、同じ「う」の字の鰻も加え、土用に鰻を食べると夏負けしないという引札文を書いた。

それが人々の間に浸透し、土用に鰻を食べる習慣になったのだ。
「それじゃ、引札を初めて配ったのも、平賀源内先生なんですか」
「いや、源内先生よりも前に、駿河町の越後屋が配っている」

延宝元年(一六七三)、越後屋は江戸の本町一丁目に呉服屋を構えた。

当時の本町通りは呉服の大店が店を構え、新参者の越後屋は苦戦を強いられていた。

そこで考えたのが、掛け売りなしの現金払いだ。商いは掛け売りが当たり前だったから、慣習に従わない越後屋は、他店のひんしゅくを買った。

それが一変したのは天和二年(一六八二)の火事だった。

駒込の大円寺から出火し、神田、日本橋に燃え広がり、本町通りの呉服屋などをすべて灰にした。

その翌年、越後屋は日本橋駿河町に店を構え、そのとき、江戸中に配った摺り物が引札の最初といわれている。
「越後屋は店売りに力を入れ、店頭での布地の切売りをしたり、雨が降ると訪れた客に越後屋の目印が入った傘を貸し出すなど、これまでの商いの常識をくつがえすようなことをしたんだ」
「なるほど、そういうことですか、引札は人々の習慣を変えることができるんですね」

長二郎が感心していると、
「習慣を変えるだけではないぞ。引札を通して、こんなふうに使うものだとか、こうして使うと便利だとか、ここで売っているとか、人々の暮らしに役立つようなことを教えることもできる」
「人々の知らないことを教えるのですか」
「そうだ、引札は人と物の仲立ちをしたり、新しい風習を生み出したりと、人々の暮らし方や考え方を変えることもできるんだ」

三馬はそう言と、また胸のあたりを掻きはじめた。